ブログの書き方の前に、文章そのものの面白さを伝えたい。
そして、あなたの不安を解消したい。
文章の面白さを知る
私は文章を書くのが好きである。
私は文章を書くのが好きだ。
好きだ文章を書くのが。私は。
結局のところ読みやすい読みにくいと言うのは、読んだ人の感覚や経験値によりますし、そもそも哲学にせよなんにせよ、見聞した人の感想がすなわち評価です。
文体について考える
例えば、口語体が嫌いな人、口語体が好きな人、いますよね。
口語体でも丁寧語が良い人もおられますし、友人的な口調が良いって人も居るよね。
一人称をどれにすべきか
一人称によっても与える雰囲気が変わる。
『自分』『私』『俺』『筆者』『わい』『わし』など。
当方の場合は主に私を使用するが、場合によっては一人称を変える。
だってよお、オイラはその都度、感情が変わるから。
ソレを表現しやすい一人称ってのが手前にゃあると思うんで。ええ。
もちろん優しい気持ちの時はボクにもあるし、やってらんねぇよ!と思うことは俺様にもある。まぁ、アタイは変わり者なのサ。
ということで、”私”が一番クセがないと思います。
つまり、吾輩のように何者にでも成れるし、キャラクター的表現も出来る。
所謂これが小生の思う文章の面白さでございます。
うーむ、なんか儂、物語を書きたくなってきたぞぃ。
適当な小話を書く
題名:スプリングフィールド 作:ウラカタヒロ
庭に佇んでいると、暖かな風が私の顔を撫で上げた。
まだ二月だと言うのに、日差しも強い。
ふと足元を見やると、雑草の新芽が砂利と砂利の間からぴょこん。
『むむ、キミをこのまま野放しにするわけにはいかないなぁ』
私は雑草の新芽を左手で抜き取り、眉間にしわを寄せてつぶやく。
『我が魂に宿りし焔の精霊よ、今こそその業を解き放て、火炎(ファイヤー)!!』
右手に力を込めたその刹那、雑草の新芽に向かって指をさす。
『おかあさん、あの人何やってるの?』
『あれはね、春の訪れを私たちに教えてくれてるのよ』
私は、顔から火が出るのを感じた。
適当な小話を書いた結果
割と良い。満足。
文章は会話と違って言葉を練る時間があるから面白い。
この日の昼、暖かかったので物語風の日記です。
装飾が多すぎるだけです。こんなのも良い。
しかし、一転して夜はとても冷え込みました。
私のせいですスイマセン。
ブログ的テクニックについて
文章にはテクニックが必要となるが、ブログならではの技術というのもある。
なんて、偉そうに言ってるが、私自身は技術を持っておらず、こうすると面白いかな?と考えながら書いています。
マニュアル的なアプローチは専門誌っぽいが、人間味のある文章となると機械的な文章の真逆。すなわち、説明は機械的に、感想は人間味を重視みたいな感じ。これをわざと逆にしたりするので、私は変人だと言われる事があります。
語尾に気を付ける
自分が気を付けているのは語尾です。
同じ語尾が続くのは嫌です。
リズム感も大事です。
ですますに疲れたら体言止めを使用。
たまにつかうのは倒置法。
韻を踏むのはどうでしょう?
痛い奴だと思われそう。
句読点を使わない方法もある
そうそうそういえばとにかく何かを書きたかったあの頃の僕は若かった他人の文章など一切読まなかったし句読点も付けなかったそうだそういう時代が私にもあった読みにくいとか関係ない心の中をとにかく吐き出したいそういう純情な感情は空回りして1/3も伝わらないけど文字を書きたいマイハート。
大量の改行で一文字一文字を目立たせる
あるいは⏎
⏎
とても多い⏎
⏎
改行。⏎
⏎
自己ピーアールには⏎
⏎
とても良い方法。⏎
⏎
私はここにいる。⏎
⏎
揺さぶれ。⏎
⏎
読み手の⏎
⏎
感情を⏎
⏎
揺さぶれ。⏎
⏎
太字と改行で揺さぶれ⏎
⏎
この方法は詩的な表現が達者な人が多用するメルヘン漂うギミック。
本当に必要なこと
いずれにしても文章において気を付ける事は何もない。
書けよ、貴殿の深淵を。日記に残せよぉおおお!!!
少なくとも私は、どのような文章であっても肯定するよ。
人に読んでもらいたいときは、読みやすくする工夫をすれば良い。
少なくとも、誤字脱字には気を付けるべき。
でも、読み手は雰囲気で補完してくれるよ。
読んでもらってるのか読ませてあげているのかの違い
人に読んでもらうと言うことは、自分が欲してる事。
読んでもらう為に書いてるのだから、できる限り読みやすくするのは、単純に読む人への思いやり。それらはどうしても文章の中で飛び出してくる本音。
自分を大きく見せる必要はない。あなたのままで良い。
人間味があってこそのブログ
小手先のテクニックなんかいらない。大丈夫。
クセが強いほど、良い。
合わない人は何やっても合わない。
このブログもここまで読んでる人が居るとは思えない。
万人に受ける必要は無い。
評価は後からついてくる。
だから大丈夫、キミはキミのままで良い。
そして、こんな私を受け入れてくれてるキミは、とても素晴らしい。
自己紹介の文章の例
以下に私の自己紹介を例として挙げます。
三段論法を用いた自己紹介
文章を書くのが好きなウラカタです、こんにちは。
私は文章を書くのも好きだけど、動画の編集も好きです。
私自身が楽しく日々を暮らしながら皆に楽しさを伝える、そんなチャンネルでたまに動画を投稿しています。
私は私の生活を通して誰かの利になりたいと考えています。
そのためには私の存在を広く知ってもらわないと該当する人に届きません。
登録者数や再生数でyoutube側からの評価が変わりますので、どうかチャンネル登録に協力して頂けませんか? お願いします🙇♂️
ウラカタヒロログのYouTube
三段論法はきもい
先述の自己紹介が3段論法で、内容としては自分がどういう人間なのかを伝えつつyoutubeへの登録をお願いすると言う自己中な自己紹介文になった。
多くの記事では三段論法を多用して説得力を増せ、物を売れ、登録させろと書いてあるが、こういうのはブログの文章の書き方とかテクニックとかではなくビジネス論。
んー…自分はこういうのは詐欺の手段に思う私には向いていない。
文章との向き合い方
文章は思いのままに書く事が大事。
なんだけど…実は、消した方が良いし、足した方が良い。その違いは?
書いてから消す意味
書きたい事を書く。継続して書く。とにかく書く。時間をかけて書く。
思い浮かんだことをとりあえず書く。後から読み直して添削する。
言葉の順序を入れ替えたりすると急激に良くなったりもする。
他人が読んで不快になりそうな文言は消す。
書いたら消す。書いてから消す。とにかく消す。
消して残った文章が、人を揺さぶるあなたの言葉になっている。
どんな表現でも残る
消した文章は残したところで黒歴史。
しかし、私は読みたい、あなたが作り出すだろう黒歴史。
そしてあなたが今触れているのは、まさに私の黒歴史。
私が、どんなツラをしてこれを書いてるんだ?と想像してください。
私は、あなたがどんな顔をしてこれを読んでいるかを想像して書いています。
足した方が良い事もある。
足した方が良い場合もある。
『今日は昼食を食べた』
それだけでも全然良い。
でも、何食べたん?って思う。
『今日は昼食にカレーを食べた』
なるほど、で、味は?どんなヤツ?家で食ったの?作ったの?
『今日は昼食に喫茶ウラカタでキーマカレーを食べたが、レトルトのと変わらないなぁと思ったけど、ブレンドコーヒーはおいしかった。次は違うの食べてみる』
こういうのでいい。
読む人が必要としてない場合は、何を書いたところで読みやしないけど、この記事を必要としてる人にこの記事が届けば良いし、私は、そのために書いています。
私が苦手とする文章について
自分にとってガチで難しいのはタイトルとかキャッチコピーとか一行感想。
長く書くのは簡単だけど、短くまとめるのが苦手。
罵詈雑言は簡単。
短文と一口に言っても、例えば、『つまらん』『知らん』『勝手にやってろ』『どうでもいい』だなんて、こんなの書いても読んでも面白くないし感想ですらない。
短文で心を動かすには訓練が必要。
伝えるのと動かすのは構造が違う。
私は、そういうのは苦手だからバズる事は多分一生ない。
タイトルの考え方
タイトルは短くまとめる必要があるが、私は苦手。一生懸命タイトルを考えてみました。
『これ読めば誰でも書けるようになるブログの文章の書き方』
どうですか?ザ★強気でしょう。
でも私は思います、これを読んでブログ書けない人がいるんか?と。
こんな奴でも書いてるのだから、あなたに書けないわけがない。
ブログ、その深淵。
内容はともかく何かを書けばいつか誰かが読む。それがブログ。
究極を言えば、1文字でも良い。1カ月で30文字になる。
文章を書かずとも、絵だけでも写真だけでも良いし、絵文字1つでも良い。
書き方よりもむしろ…
本当に知りたい事は継続の仕方だと思います。
私は現在、毎日投稿を試していて、一週間くらいですでにキツい。
そこで思いました、というより、開き直りました。
無駄でも無利益でも、なんか書けばいいんじゃね?と。
打率が悪くても打席に立ち続ける。ド根性。
一夜城を築くと言うが、そこに至るまでの努力の結果だと私は思うので、ローマは一日じゃできてねぇよねぇって事ですし、サグラダファミリアは未だ完成していない。
これを続けて大きな利益が欲しいわけではなくて、継続そのものを目的にしています。
そんな同志よ、共に頑張ろうね。
利益を生み出すブログの書き方
求められてる事を最速で出す。つまり、ニュースなどの情報系やレビュー系が良いと思う。収益化する方法は沢山考えられますが、私は収益化に繋げるのが苦手なので、自分が出来てない事を人に伝える事は出来ません。