メダカってなんだ?
『メダカ』と聞くと、小学校の窓際を思い出す。
そこには、砂利が敷き詰められた45cm規格の黒枠の水槽中を、黄色っぽい小さな魚たちが泳いでいた。カーテンを揺らす風が、水槽から漂ってくる匂いを運ぶ。くさい。
あのメダカたちは、一体どこから来たのだろう? 飼いきれなくなった誰かが持ってきたのか、それとも代々受け継がれているのか? 子供の私には、その答えは分からなかったし、正直に言えば今もなおどうでもいい。
ただ、毎日水槽を眺めて、メダカたちの動きを追いかけるのが楽しかった。
メダカを毎日見てたら飼育係になった
私は命令を嫌う傾向にあると自認しているものの、どうも与えられた任務や役割をこなすという事に必死になるタイプの人間だったらしい。つまり、飼育係と言うなんの利益もなさそうなものになってしまったので、毎日必死にエサやりをしていたと言いたいわけだが、普通に言ってもつまらないからわざわざそう書いた。
メダカのエサと言うのは結構、くさい。魚の死骸を思わす生臭みが、ある。餌の成分であるフィッシュミールとはすなわち、粉砕した魚の事なのだから、臭みがあるのも当然だろう。陸に上げられた魚は、基本的に臭いのである。
ところが、ところがだ。あろうことか私は「どんな味がするのだろう?」と異常に気になってしまい、メダカの餌を一つまみ程食べてしまった。うーん、まずい。メダカの餌の味はと言うと、塩気のある鰹節を思わせたが、味という味はなく、生臭みしかないふりかけのように感じた。ちなみに、金魚の餌と同じだ。
これをうまいと言う者が居たら、昆布をかじることをオススメする。鰹節が好きなら、おかかというものを食べるのが良い。おかかというのは、削り節と醤油と砂糖をそれぞれ適量混ぜるだけの食べ物だが、これがとてもうまい。
なお、メダカ水槽の掃除をした記憶は一切無いし、授業で習ったはずなのに、オスとメスの見分けもつかなかった。それが人生のなんの役に立つかわからなかったからだ。しかし、歳をとってから必要に迫られて覚えた。点数の為の勉強ではなく、趣味の為の辺強となったからだ。点数を取る事を趣味としていれば、もっと賢くなれたのだろうな。
黄色くないメダカを熱帯魚屋で見た。
2007年、ペットショップを併設する熱帯魚屋チェーンの「かねだい」で、赤メダカ・白メダカ・クロメダカを見た。白メダカやクロメダカはともかく、赤メダカと呼ばれたメダカに興味を抱いたが、赤と言うよりはオレンジ色に思えた。これはいわゆる楊貴妃と呼ばれるメダカである。購入しようかと迷ったが、結局やめて、レッドビーシュリンプを買って帰った。当時は熱帯魚にハマっており、アピストなどの飼育に燃えていた。
それから数年後、銀色のメダカが売られているのを見た。これはみゆきと呼ばれるメダカだ。『これがメダカだと!?』衝撃が走ったのを感じたが、ネオンテトラやベタ・グッピー・ラスボラなどを見慣れていた私には、そこまで興味をそそられる存在とはならなかった。
メダカ飼育を始めたが、すぐ死んだ
2015年、どうもメダカ界隈が騒がしいように感じた。ディスカスに与える冷凍赤虫を購入するために方々の観賞魚ショップへ出向くのを趣味としていたが、どの店へ行ってもやたらとメダカの種類が多いのだ。流行りものとなると欲しくなるし興味も沸く。
メダカの飼育なんて、小学生の私でも出来たくらいだからと軽い気持ちでヒメダカを購入し、余っていたADAのガラス水槽で飼育を始めたが、これがどうしてかすぐに死なせてしまった。
熱帯魚よりも難しいんじゃないか?理由はなんだ?何が悪かったのだろうか?餌か?餌なのか?死人に口なしであるし、そもそも、魚はなにも喋ってはくれない。魚の声が聞こえるなどと言い出したら、飼育などしない方がいい。きっとエサくれエサくれとうるさくてかなわん。発情期以外はエサの事しか考えてないような生き物である。・・・人間も大差ないか。メシくれ。メシくれ。あるいは、金くれ。金くれ。インテリジェンスの欠片もない。私は、飯も金もほどほどで良い。それよりも知識と品性をくれ。そのためならば、人間に非ずとも構わない。
屋外飼育を始めた。
どうやらメダカは屋外飼育が良いらしい。それも、黒い箱で飼うと良いと知った。何で知ったのかは覚えていない。ツイッターだったようにも思うが、動画だったかもしれないし、#インスタグラマラスだったかもしれない。ともかく、このころはSNSをとにかく見て回っていた。
と言うのも、この頃の私は、金が欲しいからユーチューバーになりたいと言う願望を熱く語るずっと昔のバイト仲間(私より年上)の手伝いを無償で行っていた。面白そうだと感じたので、そうした。しかし、気が付けば、カメラマン兼動画の編集兼企画兼となぜか全てが私の持ち出しである。結局は、彼は三か月と待てずに去って行った。先が見えない不安と、目先の金がどうしても必要だと言うのだ。
あのね、何事も、甘くないのだ。何事も、時間がかかる。最短でやるのなら大きなリスクと多大な努力が必要で、状況を鑑みながらもコンスタントかつ真摯に取り組まなければならない。クリエイティブなエンタメ産業とは、金と努力と運が必要なのだ。とりわけ、運が必要なのだよ。そしてその『運』を引き寄せるためには、数が必要なのだ。
ましてや超ド素人ともなれば、成功してる人をそれっぽく真似するようなしょうもないコンテンツを作りながら体験し、つまり、勉強をするしかないのだから、オリジナリティもなく、面白味は少なく、やりがいも薄い。しかしそれは、もっと先に独自性を出すための勉強なのだ。最初から出来る人もいる?違うね。その人はずっとそのことを考え続け、学び続け、先が見えるようになってから、アウトプットしたのだ。つまり、準備に長い時間をかけたと言うことだ。
どういう風にやればどういう風になるのか?彼がユーチューバーになるためのシナリオを練りに練っていた私は、その考察を捨てるのはもったいないと感じ、1人で行うことにしたが、結局、それも失敗だった。2人いる前提で書いていたので、1人では難しすぎた。時間が足りないのだ。
ああもう、思い出すだけでもストレスだなぁ。あの頃はさらにストレスが溜まっていたのだろう。私は、突然トロ舟を購入し庭に置いた。なんだか面白くなかったので、鹿沼土を敷いてメダカの飼育を始めた。結局、それも失敗だった。
この飼育方法ではうまくいかず、土についてを学び、オーバーフローのメリットデメリットを体験し、それをアウトプットするようになり、気が付いたら動画の世界から離れて文字を書いている。
ここまでが当ブログの前々日譚である。そうして体験した得た結果を淡々と綴っている。今では月間6万人に読まれる『なんだかよくわからないブロガー』となった。
執筆後記
現代、本音を語る事はあまりヨシとされてはいない。着飾った、綺麗な、キラキラと輝いてみえるような、本音っぽい絵空事をヨシとしている。でも、私はそうは思わない。なぜならそもそもが他人の文章をまともに読まないからだ。まともに、と言うのは、本当はこうだろう?と、偉そうにやや上の方から読んでいるし、言葉の内側を舐めるように読んでいるから、内面のいやらしさが透けて見えてしまうのだ。ご苦労さん。だが、人間の、人間たりうる、つまり、人間味のある、泥臭さがたまらなく愛しい。
最近、メダカの記事を書いていないのは、一度書いた事を何度も書くのではなく、書いた記事は再編集しているから、不要なのである。そして、アライグマに根こそぎ喰われてしまったので、書きようもない。熱が冷めたのかと言えば、そうではないが、メダカとは、あくまでも、私にとっての癒しであるから、餌をやって眺めるだけの日常を書く必要を感じないだけなのだ。何か変わったことや進展があれば書くだろう。だから、しばし待ってほしい。
執筆者:ヒロ浦方