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青い登山靴の少年


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バスケットボールを抱えた少年のイラスト(筆者によるAI作成画)

「自伝・バスケット少年時代」

2月22日

2月22日と言えば、筆者が生まれた日だけれども、世間一般では「ネコの日」とされている。

五九豪雪と呼ばれる年に仙台市の夜更け頃に産まれ、ひどい黄疸が出ており保育器に緊急搬送されたらしいが、以降、40年。ヘラヘラと恥を晒して生きている。

2023年に始めた当ブログは、そんな筆者の人生の現在を切り取って書き残しているが、通例として2月22日だけは、筆者の思い出に焦点を充てて綴りたい。

去年は確か、団地に住んでいた頃の当時を書いたので、今回は団地の少年から少し後の青い登山靴の話をしよう。

青い登山靴の少年

私がバスケットボールに興味を持ったのは、小4の秋頃だった。

友達がランドセルに無理やり詰め込んでボロボロになっていた週刊少年ジャンプを半ば無理やり渡されて、漫画スラムダンクを読んだ時からだ。

当時の週刊少年ジャンプは黄金世代と呼ばれる時代で、スラムダンク幽遊白書ドラゴンボールろくでなしブルースアウターゾーン電影少女ジョジョの奇妙な冒険ボンボン坂高校演劇部変態仮面BØY -ボーイ-ダイの大冒険こちら葛飾区亀有公園前派出所などが連載されていたように記憶している。(作品の良さを1つずつ説明したいが、リンクを貼る事にした)

それからは毎週のようにジャンプを読むようになったが、スラムダンクだけはどうしても最初から読みたかったので、単行本を親にねだった。

幸い、父母ともに漫画好きだったので、これはすんなり通って逆に驚いた事を覚えている。

当時は、ブックオフのような古本屋が近所になかったので、本屋で新品を購入してもらった。

嬉々としてスラムダンク第1巻を開く。

「ごめんなさい桜木君、あたしバスケット部の小田君が好きなの」「ズッコーン!」

不良頭の男性が涙を流しながらハートブレイクするシーンから、全てが始まる。

当時、時代そのものがスラムダンクの影響下にあり、空前のバスケットブームだったようだが、情報がすぐに手元に届く現代と違い、私たちは同級生しかいない世界で生きていたし、とりわけ私は全ての事に疎いタイプのぼーっとした少年だった。

なお、当時の最新情報はすべて「こち亀」由来だったが、それはまた別のお話。

私はヒマを見つけては、かめはめ波や舞空術の練習をしながらも、桜木を、流川を、ただただ恰好良いと感じ、ボールに触ったこともないクセに共感を得て過ごしていた。

もちろん、霊丸の練習もしていた。

 

ある日、同級生に「バスケしないか?」と誘われた。

喘息もちで、運動は中の下、頭の良さは下の下、同級生からの評価が「家族思いで優しい」だけの私がだ。

「土曜日の昼頃に体育館に来いよ」

「え?果たし状?」

「ドアホ、バスケしてるからさ、来いよ」

「よくわからんけど、わかった」

「ドアホ、絶対だぞ」

よくわからないまま、その週の土曜日の昼に体育館へ行った。

ダム、ダム、ダム、キュッ。キュキュッ。ダーン。

まさに、漫画スラムダンクの効果音と同じ音が体育館の外でも聞こえて来た。

知らない世界なのによく知っている音に、期待と不安から脇汗が止まらなくなった事を覚えている。

 

見慣れた体育館で、靴も履かずに靴下で見学している私。

バスケしないか?と誘われて来たのに、見ているだけである。

ひょろっとした小柄なおっさんが笛を吹いて叫んだ。

「よし、休憩!」

すると、私を誘いし者が走って寄って来た。

「面白そうだろ?」

「いや、それより足が寒い」

「え、なんでお前靴下なの?靴は?」

「外履きしか持ってない」

「ふーん、ま、なんとかなるんじゃね?」

「何がだ」

そいつがひょろっとした小柄なおっさんのとこに私を連れて行き、なんだか知らん間に練習に参加することになった。

しかもどうやら私たっての希望で「(何が何でも)バスケがしたいです…」と、三井さながらの情熱があるかのように決められていた。

当然、靴下一丁でだ。

 

ダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダム

体育館の端っこの方で、中腰で、ひたすらダムダムさせられた。

そう、彩子さんに叩き込まれていた頃の桜木と同じように。

女子バスケの者共もこちらを見てプークスしているように思えて、恥ずかしかった。

本当に何をしているのだろうか?

バスケってなんなんだろう?

ダム、ダム、ダム、キュッ。パサッ!

私がひたすらダムダムしているのを尻目に、半ば強引にこんなことをさせた張本人がレイアップシュートを決めた。

「天才だからな」

そう言ってるように見えたし、たぶんそう言ってた。

かっこい…いや、悔しい。くそー。俺の方が背が高いのに。

そうこうしているうちに、練習が終わり、モップがけをすることになったのだが、靴下がベチャベチャになって最悪だった。

ひょろっとした小柄なおっさんがニコニコしながら、帰ったら親に渡せと入団申請用紙を渡して来た。

濡れた靴下を脱いでポケットにねじ込み、素足で靴を履いて体育館様にお礼を言って、数人の同級生と家に帰ることに。

「バスケ、どうだった?」

「やるの?」

「あれオレもやらされたわー」

なんだか質問攻めに合い、話題の中心にいる事にうれしさを覚えたが、上級生が混ざってきて隅に追いやられてしまい、なんの返事もできないまま家についた。

濡れた素足とポケットの靴下が気持ち悪い。

 

「父母よ、バスケがしたいです…」

今度は、三井さながら自分の意志で伝えていた。

バスケの何がどう自分に刺さったのか、鼻息荒くその日の出来事を伝えた。

靴下一丁でダムダムしかしてないくせに、もはやいっぱしのバスケットマンの面構えである。

しかし、貧乏な団地住まいで、兄弟も多い我が家には「月謝」が重くのしかかることは小4の私にもわかってはいたし、やんわりと断られる事も予想していたが、すんなり承諾を得た。

どうやら私は翌月から正式なバスケットボール部員になるらしい。

そして、私の父も若い頃はバスケ部員だったらしい。

 

翌週、千葉に住む祖母からダンボールが届いた。

ダルマのような小さい瓶に入ったドクターペッパーと、乾燥ネギ付きの丸いカップ納豆と、バスケット用の靴と、あと何かわからんけど封筒とかなんか他にも入っていた。

私は、缶よりも瓶のドクターペッパーが大好きで、そもそもドクターペッパー自体が仙台では絶対に入手できない逸品だったが、祖母の家から徒歩3分程の自販機で売られている事を知っていた。

乾燥ネギ付きのカップ納豆も仙台では見たことがなく、乾燥ネギが単品で売ってる事も知らなかったので、その乾燥ネギ付きのカップ納豆とドクターペッパーは、何かにつけてねだっていたので暗黙の了解として必ず封入されていた。

バスケット用の靴は、青くてカッコいいハイカットシューズだった。

私はすぐに祖母に電話をかけてお礼を言ったが、遠距離通話は通話料金が高いので、すぐに切らなくてはいけなかった。

「おばあちゃん、ありがとう」

 

ちょっと、涙を拭きがてら線香焚いてきますね。

すいません、戻りました。

 

ミニバスに正式入団した日、男女混合バスケット軍団に囲まれる形で、あいさつをすることになった。

「ウラカタです、初心者です、よろしくお願いします」

ぱちぱち ぱちぱち

直前までの脳内では、胴上げされるんじゃないか?とか期待してたけれども、まぁこんなもんです。

ひょろっとした小柄なおっさんが、私に話しかけてきた。

「コーチと呼んでください、頑張ろうな」

「ほい」

「よし、練習開始!」

「「「「ハイ!!」」」」

「ウラカタ、返事はハイ!だ」

「え、ヒャイ」

いよいよ人生初の何かが始まったが、軍隊みたいな体育会系のノリはどうにも私には合わない事だけはわかった。

 

バスケットの練習は、バスケット用の靴を履き、靴ひもを固く結ぶ事から始まる。

同級生の誰かが、私が祖母からもらった靴を指して言う。

「お前の靴、なんか変じゃね?」

確かに、皆は革っぽくて足の甲の部分にたくさん穴が開いていて明るい色の靴、いわゆるバスケットシューズ(バッシュ)だったが、一方で私の靴はと言うと、青いスウェード革で、なんか靴ひもの穴の代わりに金属がついていた。

しかし、当時の私はバスケットシューズの存在など知らず、運動靴と言えば少年野球の連中が持っていた野球用のスパイクシューズしか知らなかった。

確かになんか違う とは思ったけれど、祖母がくれたものだし、その靴をカッコいいと思っていたし、大事に履こうと決めていた矢先だったので、なんだかじわっと涙が出そうになったけれども「靴は靴だべっちゃ!」とイキって全てを無かったことにした。

練習はきつく、体育館の中をひたすら走る。

笛の合図で緩急をつけながら走ったり、ゴールネットに触れるようにジャンプしながら走ったり、ステージ側から壁際に居る人まで全力で走ったり、とにかく走るばっかり。

ときおり軍曹(コーチ)が怒鳴る。

「しっかり走れ!前向いて走れ!やる気あんのか!」

体育以外での運動経験が全くない私は、ダッシュ練習の一本目から貧血を起こしたかのようにフラフラで、みっともなくヘロヘロと走り続け、ボタリボタリと全身からくまなく大粒の汗が垂れて止まらなかったし、休憩の合図で水を飲みに行った際に泣きながら吐いた。

バスケの練習って思っていたのと違う、っつーか、まず靴がなんか違う。

皆、キュッと良い音がなるのに、自分のはなんかズルっとすべる。

よし、辞めよう。こんなのは自分には無理だ。合わない。無理だ。靴も変だし。ババアめ、クソー。なんだこの靴。クソー。イライラする。あーイライラする。ババアくそー。

10分程の休憩が終わると、ようやくバスケットボールを使った練習になったようで、皆、マイバスケットボールを取り出し始めた。

私?持ってない。変な青い靴しか持ってきていない。

恐る恐る軍曹(コーチ)に近寄り、ボールを持ってない事を伝えると「バスケしに来たんだろ?なんで持ってないんだよ!」と言われて何も言えなくなってしまった。

いつの間にかボールを渡され、気が付いたら壁の方でダムダムしていた。

無理だ。なんにも楽しくない。バスケ?クソだろ。皆で玉入れゴッコやってろよ!くそー…俺も混ざりたいなぁ、クソ~。

辛いだけの一日が終わり、モップがけをして帰る。

外はもうとっぷりと暗かった。

ぞろぞろと体育館から出てきた軍団の面々は、ちかくの商店へ立ち寄り、缶詰や駄菓子を買い食いして帰るのがルーティーンのようだった。

私はあんな気の狂った連中とさっさと別れて家に帰りたかったが、子供には子供の付き合いがあるし、上級生より先に帰ってはいけないみたいな狂気じみた雰囲気を察していた。

しかしだよ、私は変な青い靴しか持ってないし、そもそもお金なんてもってないので、ただそこに居るだけ。異常に腹を空かせた状態でそこにいるだけ。

家に帰ったら親になんて報告をするか、ずっと考えていた。

たった一日で辞めるとはさすがに言えないけど、正直、もうバスケなんてしたくない。

でも続けるならボールも買ってもらわなくちゃならない。

自分が履いている靴がどうやら変だと言わなければならない。

ぼーっと生きて来た小4男児が背負うには、あまりにも憂鬱で、泣きたくなった。

 

「あのね、バスケ、楽しかった」

そう伝えると、母は喜んでいて、何か色々と聞かれたけれども、結局その日は晩飯も食べられずに寝てしまった。

翌朝、異常すぎるほど腹が空いて早起きをして、昨夜食べられなかった晩飯を食べ終えるとまた寝てしまって、結局大遅刻して担任に怒られた。

家に帰ったらまた学校に行って、バスケをしないといけない。

憂鬱である。

どんな病気になろうかと考えながら家に帰ると、バスケットボールとボストンバッグがあった。

どうやら軍曹がうちに電話してバスケットボールと水筒とバスケット用の厚手の靴下とオニギリなどの軽食を持たせてくれと頼んだらしい。

余計な事をしてくれた。

厚手の靴下なんか暑くて最悪だし、水筒は深緑でオレンジ色の電の絵が描いててダサイ、ゲータレード?なんだよそれ、こっちは昨日ゲェ垂れてんだわ。はー行くしかねぇ。行くしかねーなー。くそー。

 

体育館。走る。吐く。ダムダム。自分だけ変な青い靴なのが気になる。ダムダム。

モップかけて帰る。おにぎりうめー。甘じょっぱいおかかおにぎり異常にうめぇ。なんか砂糖の塊がジャリジャリしてるとこあるけどむしろ良き。

でも、頭の中でずっとダムダムダムダム鳴りやまない。

自分のはなんだかリズムが悪い気がする。

自称天才のアイツの音はちょっと違ったな。

ダム。ダム。ダム。うん。

あいつはもうちょっと腰を落としてた気がする。

ダッ。ダッ。ダッ。うん。

腰を落とさない時のあれ恰好良かったな。

ッターーーン。ッターーーン。

明日、やってみよう。

 

それから1か月後。

私は1人ダムダムから解放され、皆と同じメニューに参加できるようになっていた。

シュートとパスは全然ヘタだけど、パスのキャッチとドリブルだけは上手くなっていた。

とは言え、所詮素人、たかがしれているけど、でも、ダムダムの成果は確実に出ている。楽しい。バスケ。楽しい。

しかし、バスケのルールはさっぱりわからない。

作戦?何を言ってるのかすらわからない。

身長があるからセンターをやれと言われた。なにそれ。赤木(ゴリ)って何してたっけ?

この頃はもう、漫画を読む時間もなかったし、バスケに夢中だった。

 

3か月め。

「俺、なんかうまくなってきた」

人は、こんなにも変わるんだ。

ダッシュ練習?このくらいで吐くやつの気がしれないね。見てくれ、俺の身長とジャンプ力を生かしたレイアップシュートをよぉ!ヘイパス!ヘイパス!

グキョ。

左足首から嫌な音が鳴ったと思ったら倒れ込んでいて、膝が摩擦で血だらけに。

よく見たら、変な青い靴がボロボロで壊れていた。

新しい靴をGETするまで、靴下ダムダムに戻されてしまった。

膝はかゆいし足首も痛い。

それから少しして、祖母からダンボールが届いた。

また同じ青い靴!!!なんでだよ!!!!あぁぁあぁああぁああ!!

そう言えば、自分だけ靴がなんか変だって言ってなかったぁあああ!!

ドクーペッパーうめぇーふぅー!

なお、結局、言い出せずにこの次も同じ靴がまた届くことになるが、ほぼまったく同じくだりである。

 

時は流れて、小学5年生になった。

目の上のタンコブが1つ落ち、上級生入りを果たした私は、運動会でもそれなりの成績を残せるようになっていた。

とは言え、あくまでもバスケを始める前の頃と比べての話であり、マンモス団地の少年達の総数が多く、すなわち当然猛者も多いから、精一杯の見栄を張っても学校内の中の上程。

身長はグングンと伸びていて、160cm近くあったと記憶している。

「ゲータレード様様だぜぇフゥー!」

そんな折、練習試合に出れる事になって、われら団員達の親も来ている。

来ていると言うか、各自それぞれの親が車を出してくれていたから朝から居た。

さて、本日の試合では、どうやら私の身長を活かしたスーパープレイが期待されているようだ。

先行有利のバスケ、その日の試合展開を左右する最初のタイマン、すなわち、ジャンプボールだよ!

ジャンプボールは、お互いの選手代表者(ジャンプマン)がコートの中心に立ち、審判が放り投げたボールを味方にトスする役目を担う。

相手は自分よりもっと高くて、170cmくらいあったし、ジャンプ力もさらに高かった。

審判の笛が鳴り、空高くボールが放り投げられる。

時間にしてわずか2秒にも満たない時間だが、漫画スラムダンクさながら、とんでもないスローな時間が流れていたし、どこに誰が居て、何がどこにあるか、観客がどの程度いるのか、全ての空間が見えるほどに全ての感覚が超越していた。

敵はすぐに跳んだ。

にらみ合ってた視線の先にあった顔が、ゆっくりと相手の番号に変わったのだ。

少し遅れて私も跳んだ。

敵は焦っていたようで、ボールがピークに達する前に跳んだものだから、完全にタイミングを見失ってボールにかすりもせず、私の掌が、ボールにジャストミート。

刹那、人指し指に力を入れるか、薬指に力を入れるかに迷った。

人差し指に力を入れれば、左側の3ポイントが得意なヤツの方へ、薬指に力を入れれば、右側のワンマンな自称天才の方へ、少しでもズレたら敵にボールが渡ってしまう。

迷ったら右。

後は…任せた…ぐふっ。

ここからの時間の流れは急速に早くなる。

あとはボールを追ってひたすら走りっぱなしだ。

結果は負け、しかも大敗で、それはそれは経験した事のない悔しさだった。

あんなに走り込んでても、こんな負け方をするのかと。

何がいけなかったのかと反省会が開催されたが、全部悪かったように思う。

まず、自分はすでにヘロヘロで立ってもいられない程なのに、相手は平気で走っているし、味方もヘロヘロだが自分よりもしっかりとボールを追っていた。

学年が1つ上がり、2つ上の先輩が居なくなっただけなのに、なんだか強くなった気でいた事を恥じた。

 

その日、ようやく靴の事を母に言えた。

母は「今日、他の子の靴を見て思った。早く言いなさいよ」と笑いながら言う。

確かに、早く言えば良かったのかもしれないけど、言えなかったのだし、裸足では練習にも参加できなかったのだから、良いのだ。

どうやら、私が履いていたのはトレッキングシューズ、つまり軽めの山登り用の靴だった。

それから数日後、大型スポーツチェーン店で半額SALEになっていたナイキのかかとにエアーが入っているバスケットシューズ…正確なモデルは覚えていないが、Nike Air Max Sensation だったように思う。

時代は1995年、AirMAX95の偽物が大量に出回ってた年の話。

送られてきた青い登山靴は、大事に外履きとして履くことになった。

 

記事の締め

ミニバスケット少年団に入団した日の事を軸に、青い登山靴の話を書きました。

筆者はその後、小学校卒業までしっかりとバスケットを続けましたが、しかし、性格がぽやーっとしているし、ぼけーっとしているので、ルールもよくわかっておらず、誰も教えてはくれなかったので、1人だけポジション違いの変な動きをしていたりで、試合に出れた事は少なかったです。

それでも、たまに出させてもらう度にしっかりとシュートを決めるなど、それなりに活躍した思い出があります。しかしそれは、自分の役割ではなかっただけ。

上手くて背が高い後輩がたくさん入って来たのもあったし、うちの弟も入団し、彼は花形で自分の役割をちゃんと把握して活躍していたし、自分はなんだかダメな兄貴だと自信を失ってもいました。

中学に入ってバスケを続けるか悩んだのですが、部員があまりにも多いので、試合に出れることもないだろうと、そこでバスケ人生を閉じました。

授業などでバスケットボールを触る度に、バスケの楽しさを再確認するし、当時を知る団員らが「またバスケやろうぜ」「バスケ部入れよ」と、言ってくれましたが、非行に走りだしてもいたので、さながら三井寿状態でした。

今なお思うのは「軍曹、バスケがしたいです…」あるいは花道の如く「大好きです。今度は嘘じゃないっす」今となっては、あの地獄の走り込みさえも、出来る事ならもう一度と懇願する事もあるほどです。

こんな、大きな後悔を30年を経た今に至るまで、あるいは、筆者がくたばるその日まで抱え続けるとはつゆ知らず、しかし、だからこそ、今日があるとも言えます。

大きな後悔や恥を少しずつ増やして重ねて40歳になりました。

だからこそ、大きな後悔をしないような生き方をしたいものです。

しかし、その時は最善と思って行動しても後悔は必ずやってくるので、もうそれはそれとして受け入れましょう。自分を。そして、それでも生きていきましょう。明日を。

なに、簡単です。ヘラヘラしてていーんですよ。好きな事をしてていーんです。

 

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